SolemnAir

最初にカテゴリー「はじめに」をお読みください。(最初のご説明です)
Don't use texts and images in this weblog without permission. Copyright(C) 2003-2020 "SolemnAir", All right reserved.

【ツイッタログ10】やっぱり多いですよ。
基本ツイッタまま。(読みやすくするための補正は多少いれています)
空白改行が1ツイート(1話題というべきか)。
時々何ツイートかで連弾仕様(最大で8ツイートくらい)。
眠たい時に大体電波受信するので、その旨の内容が含まれていることが多々あります。
「おやすみ」の前にだらだら書くのがデフォルトです。
手違いで2012.10-2012末までの二か月間はデータがとびました。
2013年4月-2013年7月中旬です。

英語はフィーリングでお楽しみください。

------------------------------------------------------------------------------




幸せの定義ってなんだろうな、と。つくづく。
孤独にまみれた人が誰かに寄り添いそれらが薄らいでゆく、なんてある意味幻想だと思うが、
そうであって欲しいと願うのが現実だと思うわけで。
孤独にまみれてない人は孤独でない幸せを幸せとは持たずに、とメビウスの輪。


前向きなことがいいことなんじゃないよね。
転がるいいことをたくさん感じられる状態が前向きなんだよね。
前向きじゃないからって悪いことじゃないよね。
転がる嫌なことをたくさん感じてしまう状態を、悪いことだとばっさり切ると同じ気持ちはわからない。
どうして全方角を見渡すことができて、世界は360度でできているのに、
生きることだけは一方通行なんだろう?
そこに意味は在っても無くてもいい。
ただその事実だけがこの目に覆い被さり、世界を切り取ってしまう。

a peace of cake / 世界はひとかけのケーキ。
だからきっととても簡単。なのにそのピースが見当たらないのはなんでだろう?


誰かが望んだものを簡単にあっさりと手にいれたとして、
自分が望んだものではないんだが、と言うだけでもそれは傲慢になるんだろうか?
思春期の嫉妬は本当に醜くて美しいものの一つだと思うが第三者で居たかった気はする。
高校入学時には文句を言われ、
短大入学時には祝福できないと言われ、
初めて就職が決まれば無視され、
そんな人達が居た反面、真逆の反応をくれた人達が居たから、
世界は本当に見えないシーソーの上だと思う。
大体 そ ん な こ と を言う人たちには、
私がなぜ劣等感と焦燥感を抱くかはわかるまいよ、と思いながら過ごしていたわけだが。
優越感がそこに根差していたことを否定はしない。
優劣の狭間でねじきれそうな私が居た。
悲観も楽観もすまい。あるいは両方だろうよ。
本当に欲しいものはいつだって、なかなか手に入らない。
入らないから欲しがるのかもしれないし。
誰かが投げた石ころが誰かの宝石になりうる世界は、オブティペシミスト、霧の中。


一つ言えることは、双方向好意なのがほとんどなんだが、
互いの理解には決定的に言葉が足りんのだ。
言葉にしないと伝わらない、を身をもって実感させてくれる相手は本当に大事で、
ただ言葉にするのが誰しも得意なわけではないと留意せねばならない。
つまり、言葉にできない人と言葉にしない人の識別が必要で、
さらには考えることがどの辺りまで及ぶかの推察の上で、
言葉にせねば伝わらぬと判断する場合には言葉にする。
と思うが言葉にできない類いの人は受け手側がそれを推察、認識することが重要になる。
言葉にしない人と言葉にできない人の違いが大きいことと、
受け手がそれを識別することで大きく変わることだけは、
常に留意しておきたいと思っている。
うまくまとまんないな。ダメだこりゃ。


変わんねえよ。なにやってたって、私は私だもの。
それ以外になんか成れないもの。
環境がいくら変わって、それに伴う変化があったって、っていっても、
ある種の変化は確かだから、
それを留意して自覚して考えないと隔たりがなかった場所に突如壁ができてしまうし、
私はそのあるはずのない壁が嫌いだ。


仕事にはうんざりする人が多そうなのに、
なぜゲームとかのレベル上げにははまりやすいのかと考えたら、
ゲームは人間関係が必ずしも要素ではないからか。
要素でも簡単に切り捨てられるからか。と思うと人間関係に疲れた社会が浮き彫りになるね。
ツールの多様化で
「我慢してまで付き合わない」
→「妥協しない、和解しない、関わらない」
→「思い通りの人間関係しか受け付けない」は増長した気がするんだが、
順を追って説明しろと言われると難しいな。
しかもそれではいけない理由も述べよになると字数が。※ツイッター140文字制限
個人主義とかその辺の問題が多々絡むだろうけど、
ツールの多様化は、選択の幅が拡がる分、選ばない場所も増えてしまう感じ。
かといって全部の道は通れない。
辺りから脳内では情報過多社会につながったけどもうやめる。眠い。いつかmixiにでも書こう。
【※これが2013年8月の日記につながってますね。】

無意識に誰かを明るい気持ちにさせる言葉遣いができる人、ってすごいなって思う。
無神経な言葉遣いは私もしてしまうし、自分にとって意識してもすごく難しいことだから。
それは「一般的に美しいとされる言葉」とは全然違う意味で違う事。

Not for me, not for you, but for us.//
Your opinion is not mine. But it is important for me.
I can fly like a snake. You can walk like a sunshine.
We can survive on the earth without wings like a bird.

【連投】
「無難な人はなぜ仕事ができない?」 みたいなコラムを読んだ。
そつなくこなすためにそれ以上のことができない、みたいなことと、
情報収集は誰でもできるが知識オタクになってそれをいかせない、みたいなことが書いてあった。
私の主観と偏見が入ることを前提として呟くが、
アップル社に入るためにTOEICに必死になるのは筋違いだし、
新しいプログラムを組んで開発に力を注ぐべきだ、という感じのことが書いてあった。
なるほど、確かに。と頷いた。
無難な人はある一定からリスクを避けようとするという記述も頷ける。
だが全体を読んでふっと疑問を感じ違和感があった。
「仕事ができる」という定義が、少しかたよってないか、と。
仕事ができるというのは、必ずしも新しい発想ができることではないし、
リスクを追う作業をすることでもないのではと。
筆者の言いたいことは、感覚的にはよくわかる。
一線を超えて能動的にならなければ新しいスキルは身につかない。
しかしだ。仕事ができるの定義は等しくない気がする。
なぜなら世の中には複雑な作業の下に圧倒的単純作業があるから。
雇用主がいる場合
「雇用側が(その立場に)求める能力に応えられること、
またその立場と求められた領分を理解し自らの考えで相応に動けること。」
が仕事ができることだと個人的には思う。
そしてその立場がマーケティング、コンサルティングならば発想は必要だと思う。
必要な知識を収集し考え提案をする。
しかし、そうでない立場も当然ある。
もちろん考えること自体は必要だが、事務職に求められることは新しい発想ではなく
必要な知識を収集し正確に単純作業を定期的に行うことが多い気がする。
そこに、いかに作業効率をよくするか、
そのためにはどんなスキルや知識が必要かを考えることは必要だと思う。
しかし、ある程度無難でなくては勤まらない気がする。
というより求められるものが開発事業とは対極な気がする。
と、考えると、「コラムの仕事ができる人」と「私の考える仕事ができる人」とは違うんだな、と。
思ったんだが。
これね、自営業だと必然的にマーケティングが入るからね。
確かにそうなんだけど。
マーケティングやコンサルティングが得意な人が仕事ができる人ってわけではないかと。
コラムがどうこうではないんですよ。
私は仕事ができる人に成りたいが、
私に求められることはそこじゃないなと感じたという、
はて、結局答えなど体当たりで得ていくしかないものだよね、というただの感想文です。(了)

1:8:1(できる:無難:できない)の法則は有名ですが、私はつくづく思うのです。
9:1:0にしようとしたり5:5:0にしようとしたりするより、
1:8:1をどう配置するかで企業は格段に変わるのでは、と。
そのためには1:8:1を正確に把握することが重要なのでは、と。
自分で考え判断して動けない人は、誰かが明確な指示を与えればきちんとできたりするわけで。
指示を与えたがり自分で動きたくない人と組ませるとか、
要するに得手不得手の把握と適材適所って重要かなーって思うんですよ。
というのも前職場で教える立場を経験し、現職場では自分が雛なわけです。
前職場の同僚同士でこの間いろいろあって、
日付超えて得手不得手や人材の使い方について話し込んだばかりだったのですよ。
仕事ができる人が揃った企業が必ずしもできる企業ではなかろうし。


…寝起きに連投すんなって話だけど、
私の中のカテゴライズは新しい情報がある度に更新されるが、非常に複雑化している。
単純な判定基準が何本も並列に走るため、
「何処に格納するか」がめんどくさい。
わかんないまま放り込むフォルダも一応あるんだけどね。
カテゴライズがきちんとできないと、引き出せない。
つまりは頭の整理なんだが、
この複雑化した判定基準が非常にめんどうで他者に説明がしんどいものだと自覚も理解もしている。
これらはさらに好き嫌いとは別次元のお話。
情報が増える度に判定基準自体が容量を持つから、時々処理が落ちる。
いろんなことを考慮して感情も伴い複雑過ぎて落ちるような類いを
制限時間内にカテゴライズ決定せねばならないときに、
感情が理不尽に断ち切られるから、思考袋小路にはまる。
白黒しか持たない時、
「白じゃない」は黒が答えじゃない。
機械は1でなければ0。trueかFALSEか。
でも人は、多分それだけじゃない。
「白じゃない」が嘘かもしれない。なにも持ってないのかもしれない。
黒と白が元々実は入れ換わってるのかもしれない。
さてその手にあるのはどっち?


Do you know what she did?
Coming time plays game with shapes.
Do you know who you were?
A ruler shapes you easily.It's mistake.
They're strong.A wall is broken by another walls.
Done pieces will plan to do different world.
Good-bye commonsenses.Welcome six-senses.
We can feel deep sympathy. //Gute Nacht! Danke!


絵を描くのが好きな人はたくさんいるけど、
それで表現することとマッチングする人は限られてくる、
って辺りと繋がっちゃうんだよね。
私は表現者が好きなので、そこに【「訴えたい自分」を持つ人】の作品を見たい、のかな?
それは舞台役者とか音楽家とか全部共通で。
だから単純に技術的に上手な絵や写真のような絵は、目にとまっても、心には残らない感じ、かな?
どんなに絵が未熟でもわずかなページ数でも強烈な想いを訴える作品とかのほうが、わたしは、好き。
で、その想いを訴えるというのが相手に伝えるための表現でかつある種の自己陶酔がなければならない感じ。
一次創作で品を作ることに真っ直で向き合ってきたから、
この辺りのことは10年位前に吐きそうなほど考えた。
絵を描くのが好き、絵を描くのが下手、
絵じゃ伝えられないことが文字では伝えられるけど、絵を描くのが好きでも、の無限ループ。
表現したいことがはっきりしてて、そのために作ってる人が大好き。
でもこれは原作者サイド。アニメとかは別話。
今度は原作者の意思や伝えたいことを加工して、もう一つのオリジナル化を図ることだから。
この辺も昔すっごい考えた。誰かのためにか自分のためにかとかも腐るほど考えた。
結局、伝えたいことが、万人受けするかとか、
一部の人にすごく共感してもらえるかとか、
自分の方向性を他人の目で探って、探らなくてもなんだけど、
自分のかきたいことをかいたもの、かきあげた者が勝ち、だと思ってる。
ここに商業とかを絡めるとそれまた昔すっごい考えためんどくさい話になるんだけど(苦笑)
私の場合描きたい「想い」ありきだからなあ。
「描きたい想い」じゃないよ。
それは日常に散らばってるいろんなもので、
いつまでも表したいことを表せるようにならないし、
形がないものや形にできないものを形にしたくてやってることだから。
発想やネタとかというより、「想い」なんだよな。


自分がのみこみが早い類いの人や順応性がある人は、
教える側になった時に、のみこめない側の世界が見えないことが多い。
その両者のやりとりをみていると、そこにある溝に橋を渡したくなる。
それじゃその人は多分わからないよ、と。
相手がなぜ解らないかを解ろうとしない自分定規なチューターだと、
仕事の効率も成果も下がるばかりだと思う。
しかし自分がそうであること自体に気づけないことが多い。
解るから。
となると、片方は仕事が、片方は相手が解らない事実。
どうしても差があ(で)ることだから、育てることは差を考慮せねばならんと思うんだ。
誰もが結果的にできるようになるところまでもっていけるチューターが最善なのかなあ。


0=なにもないではなくて、
「なにもない」が在るんだよね?って10年くらい前に書いたなあって思い出したね。
無言が肯定も否定も生むように。
重い質量や強い重力が実体をもつかもたないかの光をも絡めとってしまうように。


強制するのもされるのも好まないから、強制しないしされないから、反発もうまれない。
場合があるということだね。きっと。


例えば、あなたが想い描く景色とわたしが想い描く景色の形容詞が同じでも、
あなたとわたしの形容詞がずれていたら、
それは全く違う世界のぶつかりあいで、
しかし二つの形容詞は重なりぶつかる衝撃はどこにいくのでしょう。
世のずれは重なりの中ではなく外に走る余波ではないかと。

簡単な言葉を理解することが易いとは言えません。
もし、そうなら世の中の好き嫌いが、こんなにもずれてすれ違うことはないはずです。
幼子でも使う「好き」と「嫌い」なのだから。


どこか遠くに投げた骨を拾って、くわえて帰ってきたの。
それはよくみたら自分が投げた骨では無かった、なんてよくある話。
帰ってきた誰かは、くるはずだった誰かとは違うものだったとかよくある話。
投げたつもりで自分が飛んでたなんて、ああよくある話。

あなたがもつ拡がりに、わたしという領域は追いつけず、
ただ茫然と全てが地平線のような真っ只中で、
世界に居竦んでいて、けれど確かに言えることがひとつ。
此処が、これが、これらが、わたしを中心としたわたしがもつ拡がり。
わたしの領域でわたしは居竦まない。ただ居続ける。

飛べない鳥は地をゆく蛇になぜ跳ばないのかと訊いたならもがれたのですのがれたのですはがれたのです鳥ではなかったのです蛇ではなかったのですただ、ただそこに在るひとつだったのですどうぞ忘れてください幻の翼幻の鱗実在の彼方。


クッキーとかけてハッカーととく。パスワードはおいしく頂きました。


1)全約数特殊数
2)割切可能最低値
3)割切不可能1除き最低値安定
4)2の2倍二乗総和
5)10の特殊数
6)完全数最低値
7)1除き素数最低値不安定
8)2の三乗割切可能
9)3の三乗
10)1〜9内包10進法区切り但し1は特殊数のため内包するが10の特異性には含めない。

という超個人的な数印象の話です。
偶数あてられてる人は割り切れる人。
値の大小は一切関係ないですが10or1に関しては極端ということ。
1〜9、1〜10の総和を位同士で足すと共に繰り上がる最大値9であることが不思議でなりません。
総和45と55。

9が1と2、または3だけで作れるのが不思議でなりません。
3に二乗数4を足すと7で
完全数最低値6に1を足すと7になることが不思議で
7が1と己以外でしか割り切れないのが不思議で不思議で。
完全数6があれだけ123を揃えるのに。

0はなにものにも割り切れず、
或いは全てを強引に割りきってなお結論を変えないと思うと、
値を持たないという肩書きではないが実質を持たないというのは、
0の穴には何が詰まっているのか知りたい。
1との差があまりにもすごくそれは単なる現象の形骸的なものとも言えて。

0のすごいところは掛け算割り算を全て自分にしてしまうとこ。
1のすごいところは全ての数を割りきり、鏡のように積を返すこと。
あと0を足しても引いても相手を絶対に変えないことと、
1を足しても引いても偶数と奇数が必ず入れ換わることもすごいと思ってます。


代入の在り方が好きです。
Xという箱にはなにをいれたっていい。
値や式を好きにいれていい。謎のパンドラボックス。
中はお宝かもしれないしガラクタかもしれない。
そう思うと連立方程式や関数はちょっとおもしろそうじゃないですか?

「世間一般ではこういう決めつけがあるよね」って意思表示する人って、
けっこう「そう決めつけてる」よね。
ほじくってみれば多分そうじゃない人がけっこういると思う。
結局、世の中の固定観念を植えつけられてるのはどっちかなあって思うけど、まさに自分のことだよねこれ。
固定観念は、けっこう大事なんですよ。ただ、邪魔になりやすいだけで。
でも「常識」は「共通の固定観念」ですし。
そもそも方向性をつけないと、まとまらない概念になるわけで
全指向性は、逆に何一つ決めかねるリスクなわけで。
ただし、固定観念がよろしくないことも多々あるわけで、
とりあえず、十把一絡げにされたい人と、されることを嫌う人がいるから、難しいねってことなんです。
「こーゆーこと普通考えないじゃん?」と会話にでると、
(いや、私はそーゆーことばっか考えてるよ)と思ったり、
相手によっては「うんにゃ。私は考える」と言ってしまう。
違う個別を十把一絡げにされることに慣れてはいても、うんざりもしてる。
誰がいいとかわるいとか、それがいいとかわるいとか、ではなく。
そんな事象がありますよ、と。
私だって何かを強引に十把一絡げにしては世界を捉えているのでしょうし。
よし悪しなど、個別の判別ですし。


時々、わかんねーやつはどーでもいいとか本気で思ってる。
言葉を額縁にでも入れて飾っとけよって。
いつまでも眺めて額縁を裏返したら別の言葉があるとか、別にもう考えなくてもいいよって。
時々、疲れると単純化する。好きか嫌いかの理屈抜きに。
バカにする、下にみる、軽んじる、そんな話になること自体が違うんだ。
魚と鳥がどっちがどうでも、
魚と鳥が「解り合えないという共通の認識によって解り合うしかない」と、
たまに、たたきつけたくなるときがある。


わたしが伝えたいことなど、簡単なひとつだ。
それを伝えられずにいる。
把握の齟齬、他者が他者であるがゆえの差異、
そんなものを超越できる方法など、簡単な場所には見当たらない。
見当たらないままでいい気もしている。


めんどくさいこと、めんどくさいせかい、だから遠くでいい。
だから遠くで、いい。
私の両手は小さいから、そんなにたくさん持てないから、遠巻きに見るだけでいい。
今つながってるものを大事にしていくだけ。
直接会って話す、って絶対何にも勝る最強ツールだと信じてる。
(相手が怒った時とかの最善ツールとは言わないが)
直接って、強いよ。
五感をフルで刺激されるから。
というか自分が大事にしたいことのひとつ。
始まりはいつだってそこから。


誤解と語弊を覚悟でいってしまうと、
人生で初めて、受からなくてはいけない試験に勉強して臨んだ試験でした。
逃げて逃げて逃げてとにかく勉強が嫌いで逃げてきた人生なので、
これは私にとっては違う意味を持つ合格なのです。
さらには10年前に一度逃げた試験ですから、
簡単と言われるものなんですが、知らなければ受からないものではあるので、
すごく、うん、過去と壁を少し超えられたかなって。
一昨年に英検3級をとりました。
これは中学の時に面接が嫌で嫌で嫌で嫌で逃げたことに対しての挑戦でした。
受かることがではなく、受けること自体が。
少しずつ失ったものを取り返したいのです。
少しずつ成長したいのです。この歳になっても。

逃げることは悪いことではないです。
もちろん逃げたっていい。
問題は私の場合、
自分がその自分の選択に納得できなかったり、
自分をみっともなく感じてしまったりすることなのです。
だから楽しく遊ぶために、と。いつだってここからリスタート。

頭がいいとか、賢いとか、優秀とか、仕事ができるとか、
たくさんいい(はずの)言葉をもらっても、
自分がみじめだと思うならみじめ以外の何者にも成れず。
比較ではなく、優越のほうに根差す劣等感は(私にとっては)みじめな気持ち。
ってことにこだわって、病んで卑下して自虐的に考えた時代はとうの昔に終わってますが。
私は私だもの。
でも少しばかり闘ってはいきたいのよね。
自分と向き合って行きたい、生きたいのよね。
自分を活かしたいのよね。


今は明日より昨日より重くて、
明日のためでも昨日のためでもなく、
今しか生きれない事実に、時々潰されそうになることがある。
と書くとメンヘラーぽいが眠いだけだよ。
明日も昨日も今も全部好きよ。嫌な日でも好きよ。
好きな人達がたくさんいる世界は好きよ。
嫌いなのはいつだってその気まぐれな気持ちを固定化されることだけよ。
つまりは嫌いな日があっても内包してるのよ。好きが内包するのよ。
いつだって想いが自由でいいじゃない。ある日突然違ってもいいじゃない。
なにかの盟約や条例、法律や規則でもなし、心は自由でいいじゃない。
行動は社会性に縛られるからなおさら。
自由に行動するのは、縄張りがあるからダメね。人間が生きるための縄張りが。


この閉じそうな迷路に解決法はいつもないまま。
もっと楽に生きれたらね。
なんで嫌いのカテゴライズがこんなに複雑な条件式なのか。
嫌えない分自分を嫌う等式だけは回避できるようになったけど。
うまくいえないや。ただ、わたしの、すなおなきもち、がいつも行方不明なの。


こだわるのはいつもわたしのほう。
割り切れないのもいつもわたしのほう。
例えばそれを実行したとして、より私らしいのはどっち、って自分が自分と並ぶのか。
ブレーカー一回落としたいな。
試算はいつも実測値と合わない。その世界が好き。


求める言葉だけをくれる関係は、それはそれでどうぞ。
私にはお砂糖ばかりでは栄養バランスがよろしくないの。
しかし嫌いなものは食いたくないのが実情。
それを眉間にしわ寄せてまで食べる理由が、わかっていながら。
食べなくていいんだって、わかっていながら。

理想郷も桃源郷も机上の空論も、いつだってそこに「有」るのよ。
そこに「在」る場所には無いだけで。ってなんで昼からこんなに電波なのよ。


I pretend me like a empty box. Damaged hands knocked the door which was covered.
Shall I believe it which open really? To be is not done.
Your position is not mine, it's natural. My status doesn't have anything.
It is not my business that a sky keeps the blue.
All is lip service by someone,isn't it?
Possibly it is based on own God.
You haven't to tell me to true.
But show me your thinking even if a borderline hide from your eyes.
We're finding new things here always.
For changing self. Little things make it changeable.
We are not alone. But we are original one.
It's only one. Yours is not mine.
I'm not you. So we can support each other.Therefore, it can do.


キャッチアンドリリースの精神。
テイクアウトは無しの方向で。
地道で地味な区分だけど。
これに関しては無くてもいい。
ただ電子上の虚像がいくつせせりたっても、現実的な実像には触れないままでいい。これに関しては。
電子文字が横に滑って縦に並んで、それで正確な温度を知るのは難しい。
ちょっとした声、ちょっとした仕草、それらが伝える個体情報は文字ではなかなか追いつかない。
結局のところ、一ミリも伝わらないんだろう。
ならばただの反射だよ。
好意には好意を、悪意にも好意を、善意には善意を、だから偽善には偽善を。
単なるオウム返しの空っぽな人形。を演じる頑固な わたし。という設定にしておこう。
好きも嫌いもひとつの鍋にいれて掻き混ぜた。
いつまでもいつまでもわけのわからない味のまま飲み続けた。
それを飲まなくてもいいんだって言ってくれる人達が好き。
飲み続ける私にバカだなって言いながら呆れながらも変わらずある人達が好き。
きれいに固められた箱の中に、水なら入れる。
だから溶けてしまえばいい。
だけどH2Oは変わらないよ。
変わってやらないよ。変えられないよ。
だから沸騰したら箱から消えちゃうよ。仕方ないよね。


くるくるまわる、ぐるぐるまわる、ながれながされ、いしをけずってきたの。
石を削ってきたの。
意思を削ってきたの。
意志が流れ流され、くるくる、周りの世界、回る世界。


それはmine(わたしのもの)であってmine(地雷)だよ。
あなたのすきなところですきにしていいものではないよ。



-------------------

ツイッタ中に、受信した電波的内容語群。
ツイッタアカ  uamo27 (日常駄々漏れ、電波時々。)

JUGEMテーマ:つぶやき。


「自分定規」 - - uamo72
<< NEW TOP OLD>>